米国製エリートは本当にすごいのか?
米国製エリートは本当にすごいのか?
クチコミを見る


経済誌の若手記者によるスタンフォード大学院への留学記。
留学時の日常風景にくわえ、日米(+中国、韓国)の社会論、歴史認識、英語学習のコツまで
幅広くコンパクトにまとまっている。
そしてもちろん、本書のコアである「米国エリートの強み」もしっかり描かれる。

世界の大学ランキングで上位を独占する米国の高等教育は、世界中から債優秀な頭脳を集め
年1兆円以上を稼ぎだす一大産業だ。その強みは、グローバルな環境で、脳をギリギリまで
追い込むような知的トレーニングを積む環境にある。

入学初日から一時間足りとも無駄にはできない。専門書や資料を(もちろん英語で)高速で
読みとおすスキルが身に付き、時間を最大限、効率的に使う習慣が叩きこまれる。
そして、まったく違う価値観、文化をもった世界各国からのエリートたちと、高度な知のぶつけあい
を繰り広げる。国際政治の授業では、歴史認識問題で、韓国人留学生軍団とガチンコの論戦も
戦わせる。それらすべてが、21世紀のエリートとして必要不可欠な血となり肉となるわけだ。
米国の大学院というのは、そのための修行場のようなものだろう。

そして、育成されたエリートは、社会の様々な現場でリスクをとって社会をけん引することになる。
彼らがリスクをとるのは、建国以来のフロンティアスピリッツに溢れているから、などという理由
よりも、単純に大企業や公務員に就職するよりも、そっちの方が得だからだ。

ハーバードでMBAを採った人間の多くがベンチャーに挑戦するのも、いつでも1000万円以上
稼げる仕事に戻れるという安心感があるからでしょう。大企業の敏腕エンジニアがベンチャーに
転職するのも、ベンチャーが失敗しても、次の働き口が簡単に見つかるからでしょう。
人間は、人生の最低ラインが見えた方が、大きなリスクに挑戦することが出来るように思えます。


著者はずばり、米国エリートのリスク選好の気風も、そして80年代米国で実現した産業構造の
転換も、根っこは流動的な労働市場にこそあると喝破する。

逆に、エリートが率先してリスクの少ない官庁や大企業を目指すのが日本である。
90年代以降、両国の国力に差が付いた最大の理由はここだろう。


他にも、現役記者らしく、留学のさなかに目にとまった事物に対する考察が面白い。
以下、興味深かったポイントをざっと紹介。

・手をつないでいる男女もいないし、おしゃれな服装とも無縁。
 以前、東大生の団体がやってきた時、御洒落っぷりに驚かれたそうだ(!)
・日本人留学生の減少は、企業派遣の激減と日本社会の成熟にある。
・先進国でありながら、韓国が今でも多数の留学生を送り出し続ける理由。

ここからは私見。

本書の全体を通じて触れられていることではあるが、留学のメリットは、知的刺激に満ちた空間で
一定期間、ぎりぎりまで追い込んだインプットとアウトプットを継続することと、グローバルな空間の
中でそれを経験することにある。

長く世界第二位の経済大国でありながら、そのどちらも高等教育の現場で提供できなかった事実を
日本人はもっと真剣に受け止めるべきだと思う。
これは大学側の責任というよりも、高等教育を必要としない雇用システムと、それを良しとしてきた
社会全体の責任だ。


もし、日本の大学に、半分とは言わないまでも20%くらいの留学生がいて、日本人、留学生問わず
そこでは日夜、真摯な知的活動が行われているとしたら。
「若者よ海外に目を向けろ」と金の無い世代の尻を蹴っ飛ばさなくても、グローバル化のための
ハードルはずいぶんと低かったろうなという気はする。

社会人や学生だけでなく、これから大学進学を考えている十代にも広くすすめたい良書だ。
留学はしなくても、これから同じ土俵で競争する海の向こうのエリートがどういう大学生活を送って
いるのか、知っておいて損はないだろう。
スポンサーリンク