国会議員の定数削減を巡る議論が盛り上がっている。
ただ、それ自体に何の意味もないのは、ちょっと考えれば明らかだろう。
一人4000万×80として、浮くお金は32億円。過去最高の96兆円予算に比べれば
焼け石に水レベルの話だ。しかも、社会保障費は毎年1兆円ずつ増え続ける。
それをどうするかの議論をした方がよほど生産的だと思うんですが。

というわけで、個人的には別に議員さんを削減しようがしまいがどっちでもいいのだが、
なぜこういう議論が延々と続いてしまうのか、その理由を考えてみると面白い。

まず、そもそもの大前提として、日本にはもう増税か社会保障カットの二択しかない。
実は結構前からそうなっている。
「いや、増税は先延ばししてきたじゃないか!」
と思う人もいるかもしれないが、たとえば厚生年金保険料は2004年から4.3%も段階的に
引き上げられている最中だ。収入にかかる4.3%は、消費にかかる消費税5%などより
はるかにインパクトが大きいはず。

しかもそれだけ貢がされても積立金自体は減り続けているわけだから、言い方を変えるなら
サラリーマンだけ増税しつつ、将来の社会保障給付をカットしているようなものである。
ね、ちゃんと増税と社会保障カットになってるでしょう。

基礎年金しか払っていない(or未納中の)フリーターや自営業者はどっちでもいい話だが、
天引きされまくりのサラリーマン諸氏はこの辺を冷静に見極めた方がいい。
世の“増税反対派”と称する人の中には、本音では「サラリーマンに負担させとけ」と
腹の底で考えている人が少なくない。

さて、こんな状況の中で、民主も自民も主流派は増税を選んでいるわけだ。
けして次世代にツケをどうのこうのというわけではなく、単に高齢者に社会保障カットと
言えないからにすぎない。
この動きに反対する人達も、社会保障カットとは言いだせない。
そこで、議員定数とか歳費の削減なんてしょーもないことでお茶を濁しているのだろう。

そう、かつての牛歩戦術と本質的には同じことだ。
戦後、長く続いた自民党政権の間、どう考えても勝ち目が無い議案に対して、社会党や
共産党といった野党が、投票箱までゆっくり歩いて尺を稼ぐという珍妙な光景がしばしば見られた。
「支持者の皆さん、私たち、こんなに頑張ってますよ」というパフォーマンスだったわけだが、
21世紀になった今でも、政治の質は本質的には変わっていないのかもしれない。
スポンサーリンク